猫の園

夕方、子供を連れてマンションの周りをゆっくり散歩した。途中でマンションの敷地内にある小さな砂場とアスレチックジムっぽい場所で子供を少し遊ばせたのだが、砂場に降りたらやっぱり砂の海の合間から謎の塊っぽいものが見えてたり、ところどころポツッポツッと砂が濡れていたり、ウンコくさかったり、小バエの群れが砂場スレスレに低空飛行していたりしたのを見てしまい、覚悟していたとはいえやっぱり萎えたので早々に子供を砂場から引き上げてマンションの周辺をゆっくり散歩することにした。

 

思いかえすと、子供の頃、まだ小学校1年ぐらいだったと思うが、砂場で裸足で遊んでいた時にヌルッとしたものを踏んでしまい、それを臭いでみたら猛烈に臭かったということがあった。あっ猫のウンコだ!と一瞬で分かって半べそになり(当時、その周辺には割と野良猫がいた)、片足ケンケンしながら家に帰ったのだが、その時は親も外に出払っていたので、つま先が床につかないように膝をつき四つん這いになって風呂場に行き、足の皮が剥けるぐらい石鹸で洗って、さらにそのあと手の隅々まで石鹸で洗った。家族にこのことを言ったかどうか今となっては忘れてしまったが、とりあえずその日の夕食の時に食欲があまり湧かなかったことはよく憶えている。

その後引っ越しがあり、新たに川崎の集合住宅に住むことになったのだが、その公園にも砂場があった。みんなそこで遊んでいたのだが、僕はこのようなトラウマが焼き付いていたので、絶対に砂場には近寄らなかった。おまけにその砂場の上には大きな樹が木陰を作っていて完全な日陰になっていたので、その砂場の上にはまったく日が差さない配置になっていた。まだ小学校2年とか3年ぐらいだったので難しいことは何も知らないのだが、それでも頭の片隅で、今の大人の語彙でもって表現しなおせば「湿度が高い上に日光消毒も期待できないから、さぞかし雑菌が超繁殖していて不衛生の極みであろうな」となるようなことをぼんやりと考えていた。四十路に入った今に至るまで、砂場というものを見ると常にこのことを思い出す。まさに幼少期のトラウマである。ウンコごときでこんなにも心に影を落とすのだから、「幼少期に性的虐待されていた」みたいな人の精神的な傷の深さと過酷さは想像するに余る。

 

猫を無邪気に追いかける子供のあとをゆっくりと追いながらそんなことを思い返していたところで、もう一つウンコの思い出が湧いてきた。小学校時代、登下校するルートの電柱のところに野良犬だかなんだかの動物がウンコをしていて、当然小学生なのでそれを大喜びで話題にしていたのだが、数日経ってそのウンコが徐々に溶けていく代わりに、なにか毛のようなものがたくさん生えてきた。それをみんなで「ウン毛だ」と言ってヒャーヒャー興奮しながら笑い転げていたのだが、雨風に晒されて徐々に小さくなっていったウン毛は2週間ぐらいしてついに消え去った。けっこうみんなで哀しんだ。

 

自分の子供も今後こうやって野良犬や野良猫のウンコというものと向き合うときが来るんだろうかと思い馳せてしまったのだが、今の日本では野良犬はまずいないし、野良猫も民家が密集したところじゃないと見かけないから、きっと当時の僕のように触れ合うことはないだろう。インドにいる間に牛のウンコでも経験させてやろうか、と親心でちょっと思った。

 

古い記事ではいちおう配慮してウ◯コと書いていたのだが、面倒だしどうせ読んでる人はみんな大人だからウンコで統一することにした。