ヴァラナシ

元号が令和に決定。俺ももう二元号前の生まれになってしまったか。

としみじみ書きつつ実は大して興味がないので華麗にスルーしてヴァラナシの写真を整理して過ごした。役所の書類だと、生年月日について明治・大正・昭和・平成が小さい字で2x2で表記されていて、そこから丸で囲って選ばせるものがあるけど、ここに令和も追加になったら2x3でバランス悪いな、なんてことを思いながら。

 

昨日の夜から喉が痛い。例によって旅先でやられたか。でもブログは書く。

 

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30日に空港でドーサを食べつつIndigoでヴァラナシに飛んだ。2時間半ぐらいだったと思う。ちょうどデリーに行くのと同じぐらいだ。

 

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ヴァラナシの空港は地味でやや古め。まあ、ビジネス的に賑わっている場所でもないからこんなものか。どことなくアーメダバードの空港を思い出した。

 

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暑い。あとワーラーナシーという表記があることを初めて知った。

 

僕らはShree Ganesha Palaceという、ガンジス河から歩いて500mぐらいのところに宿泊することにした。車も手配してくれたので、それに乗ってホテルに向かう。空港から街の中心に向かう道の雰囲気は明らかに田舎然としていて、なんとなく栃木とか伊豆とか、ああいう地方の雰囲気を思い出した。

…しかし、ヴァラナシの中心部、河の近くに来たら、もうそこはカオス以外の何物でもなかった。あとで写真を見せる通り、もう人と犬と牛の海である。それが別に祭りとかそういうイベントがあるわけでもなく、ただの日常風景としてそこにあるのだ。インドはやっぱり人が多い。

 

で、ホテルに着いた。

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フロントの人たちは英語に堪能で、こちらもちゃんと喋れるならコミュニケーションにはまず不自由しない。客層も多様で、欧米のバックパッカーらしい人もいれば、インド人の家族旅行らしき一家も、老後の旅行をしているらしいご老人夫婦なんかもいた。

 

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部屋の中は思ったよりもちゃんとしている。ただし床はきちんと水拭きなどしていないらしく、裸足で歩くとすぐに足の裏が真っ黒になります。室内では靴なりサンダルなりを履き続けたほうが良い。あと、しょっちゅう停電する。お昼すぎに到着してから河に観光に出るまでの3時間足らずの間に4〜5回は停電した。ヴァラナシの電力事情は宜しくないようである。

 

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インターネットの事情も良くない。ホテルWi-Fiがやけに遅いなと思って計測してみたら、こんな数字だった。

 

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今朝測ったバンガロールの速度はこれである。上りと下りでそれぞれ小数点2桁ぶんの差がある。Ping応答時間に至っては300倍以上だ。バンガロールでぶつくさ文句を言っていた一昨日までの僕はシヴァ神の怒りに触れて天罰を喰らうのかもしれない。僕はオンラインゲームをしないので関係ないが、ヴァラナシでミリフレーム単位を争うオンライン格闘ゲームなんかを遊んだらまるで試合にならなそうだ。

 

チェックインしてから、夕方のガンジス河岸辺の儀式をウォッチングするためにホテル受付にアレンジをお願いし、夕方5時過ぎまで一休みする。

そして時間になり、ガイドさんともうひとりの観光客とホテル受付前で合流してから河に向かう(徒歩)。

 

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先頭の赤紫っぽいシャツを来た人物がガイド兼ボート装者(手漕ぎ)、手前の短パンの人物はニューヨーク在住のイスラエル人。イスラエル人氏は昨日からヴァラナシに滞在しており、明日はゴアに向けて出発するのだそうだ。

 

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そして街に出る。人口密度が凄い。

 

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人口密度が凄い。

 

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人口密度が凄い。ウシも犬もバンガロールどころでなく多い。

 

いちおう車両と人間とが進む道は自然発生的に分離されているのだが、そうは言っても人間のほうが歩行者天国の勢いで車道を常時侵食しており、そんなところを車やバイクが例によってクラクションで警告を発しつつガンガン通っていく。

あと、ロータリーがぜんぜんロータリーとして機能していなくて、事実上左右二股に分かれる道が中央の丸い部分に対して四方向から合流しているような具合になっている。

なにしろ暑くてヘロヘロになるのだが、インド人たちはこんなときでも長袖のシャツを着てボタンを首下ぐらいまでピッシーキメキメーな感じに閉めている。それはバンガロールでも同じなのだが、ヴァラナシやムンバイなんかでもそうなので驚いてしまう。アラブ方面に行くと例のアラブ人の衣装のようにゆったり全身を包んでいるほうが涼しいらしいのだが、あれは乾いた土地だから有効なんであって、こんな蒸し暑いところでは駄目だと思うのだが、実際のところはどうなんだろう。

 

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途中から不意に商店街の裏路地のような場所に入り込む。かなり濃いディープさだが、老若男女が普通に歩いており、危険な雰囲気はまったくない。あと、道が意外と綺麗だった。この路地に入る直前ぐらいに、金曜夜の呑み屋帰りの酔っぱらいのゲロ10人分ぐらいの量のウシのウンコが路上にぶち撒けられていて相棒が危うく踏みそうになり悲鳴をあげていたが、そういった中央道路のヤバさと比べると圧倒的に清潔である。もちろん謎の水たまりとかはあるのだが。

 

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そうこうしているうちに河が見えてきた!

 

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おぉ、ガンジス河。こういう歴史的なものや世界遺産的なものを見てもそこまで心を揺さぶられる性格ではないのだが、それでも感慨深い。

 

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降りていく手前の建物にご立派なシヴァリンガ様が祀られていた。ぜんぜん下調べせずに来たのだが、ガンジス河はシヴァ神を祀っている有名な場所であることをガイドに教えてもらって知った。

 

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ちゃんとトリシューラ(三叉戟)や神獣ナンディがいる。

 

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ボートが見えてきた。こちらの川岸にはこんな具合にパラパラと人がいる。観光客っぽかったり、地元の人だったり、修行僧的な人たちだったり様々。反対側は夕方はほとんど誰も見当たらないが、明日の午前になったらけっこう混んでいたので、それなりに意味のある場所のようである。

 

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間近でよく見ると実にボロい。うー。これに乗るのか。

 

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イスラエル人氏が乗った!そのあと僕らも乗ったわけだが、思いのほかがっしりとしていて、水上で崩壊しそうな気配はない。最後にガイドが乗って漕ぎ始め、出発。

 

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だいぶ日が落ちてきた。位置的に夕日をきちんと見るのは難しそうである。まあ、ガンジス河が見れるなら何でも構わないと思っていたので、とにかく風景を堪能した。

 

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こうやってジャバジャバと水を浴びている人たちがたくさんいる。事前知識として知ってはいたが、こうやって眺めるとやっぱり驚く。

 

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だってこんなところですから。

と書こうと思ったのだが、こうやって見るとゴミらしいゴミは浮いておらず、川岸はともかく河の中心部なら割とオッケーじゃないかと思ったりもした。子供の頃多摩川で泳いで遊んだことがあったのだが、今思えばあの川の緑っぷりも大概だった。それでも僕以外にいろんな家庭の子供たちが親に連れられて遊びに来ていたので、ガンジス河も意外と平気かもな、と思ったりもした。

というようなブログの文章まで考えてガンジス河をアゲアゲすることを狙っていたのだが、この直後ぐらいに毛むくじゃらの大きな物体が流れてきて、ガイドが櫂を漕ぎながら「That's animal。ドウブツノシタイダネ、ソレハ」と教えてくれた。やはり駄目だ。男衆だけで旅をしたYSRさん、Sさん、Yさんはみんな足首までは河に浸したらしいが、僕は爪先を浸すことすらしなかった。チキンで申し訳ない。

 

なお、本人が写真を撮られるのを余り好きではないということで掲載は控えるが、ガイドさんはスリムでハンサムで落ち着いた好青年で、英語はもちろん、日本語もほぼネイティブ会話ができるほど上手かった。不意に僕が日本語で話しかけても特に考えずに非常に的確に日本語で即座に応答してくれるので、生半可なものではない。理由を聞いてみたら、やっぱり日本人の観光客が多いので、近所に住んでいる友人の奥さん(日本人)を相手に修行したのだという。大したもんだ。

 

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これは死体を焼いているところ、要するに火葬場である。ホテルの人もガイドも「Kasoba」と言っていたので、やっぱり日本人の観光客も多いんだろう。当然だが極端に接近して撮影するのは厳禁だそうで、それなりに離れたところから拡大して撮影した。他にも何枚か撮影したが、これがいちばん雰囲気を感じられると思う。黒いので保護色状態になっていて分かりづらいのだが、川岸と火葬の火との間にウシがゴロゴロいる。なんでだろうとガイドに訊いたら「火葬スルトキニ遺族ガ花ヲ撒イテオ祈リスルンダケド、ソレヲ食ベニキテルンデスヨ」と教えてくれた。インドらしくて良い。写真右端の建物は雨の日に使う火葬場でそこも含めてこの火葬場は基本的に24時間365日操業だそうだ。あと、薪は自分で用意するなり購入するということらしいが、貧しい家庭は充分な薪を用意できず、死体の焼け残りが発生するそうだが、そういうものも容赦なく河に流していくのだという。また、焼けたあとの灰の中に指輪やネックレスのような装飾品や金歯などが残るそうだが、それも貧民層の人たちが丹念に探し出して回収していってしまうのだという。まさにサバイバル。

 

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ちょうど火葬場のあたりでUターンし、今度は逆方向にずっと進んでいくと、そろそろセレモニーが始まるという場所に到着した。

 

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猛烈に人がひしめいているところで、ずっと詠唱やら灰を撒いたりやらなんやらといった儀式が続く。ムードがあるかというと実はそこまでムードは感じられず、僕は途中で飽きた。このあともずっと見ていれば何かスペシャルなサムシングが起きるのかもしれないが、もういいやと。スピーカーで大音量でヒンドゥーっぽい音楽を流していたりして、なんとなくショーのように思える。日本でも神社とかで柱にスピーカーが設置してあって神道っぽい音楽が流れていると僕は一気に白けてしまうのだが、そんな感じ。まあ、便利なテクノロジーは活用したほうが良いのだろうが。

 

この時点でおおよそ夜7時過ぎぐらいだったのだが、ずっと蒸し暑いし蚊だらけで刺されまくるし、ボートの上にもゴキブリが3匹ぐらい徘徊しているし(ただし異様に動きが鈍い。やる気ゼロ)、イスラエル人氏も「俺のことは気にせずに帰るってことで良いよ」と行ってくれたので(彼も飽きてるっぽかった)、ガイドさんに告げて帰ってもらうことにした。そこで背後に目をやると、後ろに船船船と船がひしめいていた。それが昨日のブログの写真である。ガイドさんは他の船のガイドさんと協力して手で船を押し避けて、なんとか河の中心部へと突破していった。

 

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戻っていく途中の風景を取ると、改めて河の広さが感じられた。といっても暗すぎて分からないですね。ちゃんと魚がいるらしく、少し離れたところで僕の腕ほどの太さのある魚が水面に飛び上がったのを目撃した。

 

で、無事に元の場所にたどり着いたのだが、イスラエル人氏が「もし良ければちょっとだけ寄りたいところがあるんだ。美味しいラッシーを出してくれるんだ」というので、興味があるから付いて行くことにした。

 

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静かで清潔感のある裏路地はずいぶん賑やかになっていた。やっぱり日中は暑いのでみんな夜に行動するらしい。

 

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そしてたどり着いたのが、「Blue Lassi」という場所である。

 

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店内はこんな感じでこの左右にも人の顔写真が壁一面に貼られている。日本のワンルームよりももっと狭い場所なんだが、たくさんの客がおとなしく座ってラッシーを待っていた。どうやらかなり有名なところらしく、「ヴァラナシ ブルーラッシー」で検索すると日本人の訪問レポートがたくさん出てくる。メニューの種類も多くて、リンゴ・パイナップル・ブドウ・マンゴー・バナナ、などなど、いろんなフルーツの風味を添えたラッシーが載っている。僕はリンゴが好きなので「アップルラッシー」を頼んだ。

 

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で、これが出てきた。これがね、美味しいんですよ。上に乗っているシナモンと和えたようなリンゴが爽やかで、甘いラッシーに良く合う。ズバズバと飲んだ。肝心の値段は80ルピーぐらいで、種類によっては100ルピーを超えるものもいくらでもある。現地のローカル住人の食費とかを考えると、この一杯で80ルピーは安いとは言えない。やっぱり観光者用価格なんだろう。でも、どうせ130円ぐらいなので旅行者がそれをケチることはない。オススメである。

ここでガイドさんとまた雑談したのだが、最近は韓国のツアー客が増えているらしく、韓国語も勉強して、日本語と同じ程度には喋れるということだった。また、意外なところではスペイン語も喋れるそうで、やっぱりヨーロッパからの客が多いためだという。脱帽するしかない。ガイド以外の仕事のほうが銭を稼げる気がするのだが、まあそれも彼の選択か。

 

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帰りも人と車の洪水である。写真だと暗めだが、実際には道横の店も一斉に営業していて、ネオンで眩しいぐらいである。ただ、ウザい客引きなどには全く遭遇しなかったので、ウシのウンコにさえ気をつけていれば割と快適に歩ける。暑いけど。

 

ここでガイドさんが「ここからなら歩いてもいいし、リキシャーで10ルピーぐらいでホテルまで帰れるよ。道が分からなければ案内するけど、どうする?」と訊いていた。するとイスラエル人氏が「ああ、俺道分かるからいいよ。今日はありがとう。じゃあな」と男前に言い放って僕らをホテルまで案内しようと歩き出した。するとガイドさんが「いや、俺もいくよ」と追いかけてきた。イスラエル人氏が「いや、いいって、分かるよ」と言い張ると、ガイドが「だってお前の行ってる方向って正反対なんだわ」と苦笑していた。英語のほうがもうちょっと若者らしいラフな感じである。イスラエル人氏は超気まずそうにしながらガイドさんの道案内に乗ることにした。あぶねぇ〜。

無事ホテルに着き、ガイドさんに明日早朝の朝日ツアーの申込みをして部屋に戻り、シャワーを浴びて寝た。このまま明日の朝日ツアーのことも書こうと思ったが、流石に長過ぎるし疲れたのでもう寝ます。続きは明日。