ヴァラナシの話

暑い暑いと言ってばかりな気がするが、これを見ると確かに暑いわけだと思った。

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沼もとい池もとい湖の水量が減っているという話は以前も書いたのだが、今朝見た光景だともっと分かりやすい。普段は、上の写真で石床が白っぽくなっている部分まで水が張られているわけだが、今はこれだけ後退してしまっている。もっとゴミとかヘドロみたいなものが溜まっているかと思ったが、こうやって見てみると意外なほど水底は綺麗なようである。

 

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こうなって初めて知ったのだが、ある程度の部分からはこんなふうにちゃんと貯水池っぽく整形されていた。最低限ここまでの水位は死守するぞということだろうか。ここから更に水位が低下すると、真の水不足状態なんだろうと勝手に思っている。魚たちは無事だろうか。

 

実は土曜〜日曜にかけてヴァラナシに行くのだが、そのことを同僚のインド人たち二人に伝えると、楽しんでこいよという言葉とともにいろいろ興味深い話を聞いた。

  • ヴァラナシというと「ガンジス河が超汚い」という話が出てくるが、その同僚の一人は7〜8年前にヴァラナシを訪れたことがあり、実際その時は最低最悪に汚くて臭くて、インド人の彼ですらつま先を水に入れることすら拒否したという。ところが、今は水質が圧倒的に改善されていて、その同僚の友人(女性)はなんと河の水をコップに入れて飲んだところを自撮りして送ってきたほどだという。「まあ、本当にそこまで大丈夫なのかどうかは知らないが、今は本当にかつてからは想像できなかったほど綺麗になったのは間違いない」らしい。
  • インドでは「ヴァラナシを訪れたものは、何かを置いて(Leave)いかねばならない」という考えがあるらしい。初めはお金を置いていく(喜捨する)ということかと思ったら「いや、違う」と言われた。もっと精神的な、無形(Intangible)なもののことらしい。たとえば物欲であるとか、特定のものに対する執着であるとか、願望であるとか、そういうもののことだそうだ。それっぽいキーワードを入れてあれこれウェブ検索してみてもあまりそれらしい話がヒットしないのだが、かろうじてこんな新聞コラムが出てきた。ただ、これは物理的に大事にしていたもの(レイバンのサングラス)を忘れてきてしまったという話なので、同僚から聞かされた話とは少し違う。謎だ。

こんな具合に、その同僚二人はニヤニヤ笑いながら何も知らない日本人にヴァラナシのことを熱く語ってきた。やっぱりインド人にとっては大きな意味を持つところなんだろう。日本において、日本人にとってのそういう精神的に大きな場所ってあるのだろうか。京都あたりか?といっても今は単に俗化した観光地だからなぁ。たぶん霊峰富士かな。あそこももはや観光地だけど、辛い思いをしてまでみんなご来光を見にいくぐらいだから、日本人にとっては今の京都よりももう少し重みがありそう。

 


 

で、けっきょく家に帰ってから寝てしまい、今頃ブログを更新しているのだが、ここでまた調べてみたところ、Quoraでドンピシャなページがヒットした。Quoraって本当に凄いな。何でも出てくる。しかも良質なものが。このページを見ると、たとえばInfosysの共同創立者Sudha Murthy氏は不要な買い物を断ったらしい。この話を手がかりにもう少し調べてみると、彼女は20年以上前にガンジス河で沐浴をしたあとは、ずっと同じサリーを使い続けていて新品は買っていない、という話が出てきた。今では生きていくうえでの最低限のものしか買わないそうだ。こういうのは物欲を置いてきたという話に繋がるんだろう。俺もひとつ、そうやって断つべきものを考えてみるか。